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東京高等裁判所 昭和44年(う)1315号 判決

主文

本件各控訴を棄却する。

理由

〈前略〉

所論は、要するに、原判決は、水産資源保護法(以下法という)第二五条及び茨城県内水面漁業調整規則(以下規則という)第二七条にいう採捕とは、とらえること乃至は容易にとらえ得る状態におくことであり、被告人等の本件各行為は右採捕にあたらないとして、被告人等に対し無罪の言渡をしたが、右採捕とは、採捕の方法を行うこと(採捕行為)を以て足りるものと解すべきであり、原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな法令適用の誤りがある、というのである。

よつて、按ずるに、採捕という語句が、日常用語的には、とらえることを意味するものであることは明らかであるが、所論は、これを右日常用語的意味での行為の未遂の段階にあたる所論の採捕行為にまで拡張して解釈すべきであるというのである。ところで、刑罰法規の解釈は、その規範的意味を確定することであり、そのため形式的文理的解釈にとまらず、目的論的解釈を施し、時としては、法規に用いられている語句をその日常用語的意味より拡張して解釈する必要があることは勿論であるが、罪刑法定主義の要請を考態すれば、拡張解釈は、当該法条の法益保護の目的や法規相互の関係に照らし必要にして相当な範囲にとどめるべきであり、行政刑罰法規の解釈においても、法規の特殊な性格に鑑み目的論的解釈方法が用いられる範囲が広いことは否めないにしても、右の原則は適用さるべきものであり、徒らに行政上の取締目的を理由に拡張解釈を用いることは許されない。而して、刑法においては、犯罪定型としての既遂と未遂は明確に区別され、各本条に定めのない限り未遂を罰することはできないのであり、各本条の構成要件としての行為を示す語句を、その日常用語的意味での行為の未遂段階にあたる行為にまで拡張解釈することは皆無であるが、既遂、未遂の区別は、刑法犯と行政犯との区別に拘らず共通に用いらるべき概念であり、且法及び規則には未遂罪に関する刑法総則規定の適用排除の特別規定はないのであるから、目的論的解釈により特に法第二五条及び規則第二七条について未遂罪についての刑法総則規定の適用を排除する趣旨が明確に認められるのでない限り、刑法上の右の原則は、右二法条についても妥当するものと考えられるのであり、右のような刑罰法規の語句の定型的な解釈方法があるという特殊性に着目すると、右解釈方法を逸脱してまで目的論的解釈により採捕の意味を所論のように拡張解釈しうるためには、一般の場合より高度の必要性と相当性が要求されるものといわざるを得ない。(尚所論のように採捕行為を明確に可罰とするためには、単にその旨の一条を設けるを以て足りるのであり、所論のような行政刑罰法規の目的論的解釈を必要ならしめる行政法規の目的の特殊性或はこれに用いる語句の技術的性格は、本件拡張解釈の当否の判断に直接かかわりはないものと思われる。)

そこで、まず法第二五条及び規則第二七条の保護法益の観点から考えてみると、右二法条が所論のような立法目的、法益を有していることは明らかであり、又所論のいう採捕行為自体右法益を侵害し乃至侵害するおそれがなく、従つて、右法益保護のため右行為を処罰の対象とする必要性がないとは断定できないのではあるけれども、採捕行為ととらえることとでは、右法益を侵害する態様及び程度において著しく異るものがあることは明らかである(これに反し、原判示のいう、容易にとらえ得る状態におく(例えば網にかかつた)ときには、とらえた場合と殆んど異るところはない)。而して、同一の法益を保護するため必要であつても、そのため如何なる範囲の行為を処罰の対象とするかは、立法政策上の問題であり、法益保護のため必要なあらゆる方法を法が講じているとすることは、合理的な考え方であるとはいえないことをも考え合せると、拡張解釈をすべき必要性と相当性があるというためには、日常用語的解釈をした場合に比し、右法益侵害の一般的抽象的にみた態様及び程度において異るところがないことを要するものと解するのを相当とし、本件の場合未だ十分の必要性及び相当性があるということはできない。次に、法及び規則を仔細に検討しても、他の規定との関係で所論のように解するのが必要で相当であると認められる事由を発見することができない(もつとも、規則中には採捕という語句を採捕行為を含めた意味に用いたと思われないでもない規定((例えば、同第一〇条、第二一条等))があるが、これ等の規定と同第二七条とはその内容を異にするものであり、これを以て所論のように解釈する根拠とはなし得ない)。所論は、規則第二七条の採捕を原判示のように解すると、同第六条との関係で不合理な結果が生ずる旨を事例を示して主張するが、右主張は、規則第六条の誤解に基くものである。すなわち、同条は、同第三七条第一項第一号と合せて刑罰法規としてみれば、単に「知事の許可を受けないで……水産動植物を採捕した者は……に処す」という趣旨であり、規則第二七条は一般的禁止規定であるのに対し、同第六条は知事の許可なき場合の禁止規定であると解すべきものであり、そうとすれば所論のような不合理な結果を生ずるものではない(右判示から考えると、原判決が規則第六条と同第二七条とが用語を使い分けしているとして、これを原判示の見解の論拠としていることは誤りといわねばならない)。尚、所論は、原判示のように解するときは、取締面において、採捕するまで検挙できないで拱手傍観していなければならず、又採捕した者が目的物を隠匿放棄して処罰を免れることとなつて不当である旨主張するが、前者の場合、検挙、処罰まではできないにしても、法益を保護するためこれを規制する法的手段が必ずしもないわけではなく、又いずれも単に取締の難易の問題にすぎないのであつて、原判示の解釈を非難すべき論拠とするに足りない。又所論は、原判示のように解するときは、漁具に目的物がからむか否かという人為以外の偶然事象により犯罪の成否を決することとなり、法の適用上著しく公平を欠く旨を事例を挙げて主張するが、右の如きは、結果の発生を要件とする犯罪につき未遂罪の定めのない場合一般に起る事柄であつて、これを所論の見解の根拠とすることは、本末顛倒のそしりを免れないのであり、これもまた原判示の解釈の反論たり得ない。右説示したとおりであつて、本件の採捕の解釈につき、目的論的解釈によつて所論のように拡張解釈すべき必要性と相当性があると認めることができない。又法第二五条及び規則第二七条について未遂罪の刑法総則規定の適用を排除する趣旨もまた認められない。

以上を総合すると、法第二五条及び規則第二七条にいう採捕につき所論のように解釈することは、合理的根拠なく刑罰法規の語句の定型的解釈方法を逸脱する不当な拡張解釈であるというべく、右採捕とは、原判示と同じく、とらえること乃至は未だ現実にとらえていなくても、容易にとらえ得るような、換言すれば、自己の実力支配内に入れたと認められるような状態に置くことを意味するものと解するのを相当と認める。その他所論(判例理論についての主張を含め)に鑑み検討しても、原判決に所論のような法令適用の誤りがあるとは認められない。論旨は理由がない。

よつて、本件各控訴は理由がないから、刑事訴訟法第三九六条によりこれ等をいずれも棄却することとし、主文のとおり判決する。(脇田忠 高橋幹男 環直弥)

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